
木村 まさ子 食育・言霊研究家
魂の医療 いのちが本質~時代が魂を語り始めたより抜粋
身体と環境は密接な関係にある
私は、祖父母、両親よりつながった食、生活習慣、思い返せば自然環境と相和していた有難い時代に子ども時代を過ごしてきました。
そして時が流れ、急な欧米化による生活環境の変化の中で、現代人はとても大切なことを切り捨ててきたように思えます。
文明科学の変化により、冷暖房完備の生活から体温調整が自分でできにくくなっていますし、調理器具は食材そのもののエネルギーを壊してしまいます。
現代は、電子レンジのチン!の「袋の味」に変化してしまい、手軽さ便利さを追求することが良いことのような風潮があります。
経済優先の中で、大切なものを知らず知らずのうちに取り去られ、気づいたときには、心は枯渇し、本物の味もわからない身体になっているといっても過言ではありません。
本来、身体と環境はバラバラで離れているものではなく、身体は食べ物を含め様々な環境からなっていて密接な関係にあります。
日本の風土にあった生活・食事、そして心の持ち方など、どうしたらよいか考えることも大事なときにきていると思います。
自然から適切な取り入れ方をしなければ、身体はその地域の環境に馴染むことができません。
その土地で季節に採れる食材をいただくことが大切です。そして、一物全体。一つのものを丸ごと食べる種子・実・葉・根なども栄養的にバランスがとれています。
種や実は、次の世代を生み出せるほどの生命力に溢れている食べ物です。なるべく皮付き、根付き、葉付きのものほど、日持ちもよく生命力があります。
小魚は丸ごと食べられますが、丸ごと食べられない大きな動物や魚は、あまり食べないほうがいいと言われています。
「身土不二の原則」といいますが、先祖代々食べていた日本の伝統食、自然の中で育った野菜は生命力が強く、栄養も豊富です。
例えば、寒い時に路地で育てた野菜は成分が濃くなるので凍らず、甘みもあって美味しくなります。
しかし、温室育ちの野菜は、値段も安く経済的ですが、栄養価は大違いです。春に採れるフキノトウ、ワラビ、菜の花なども野草や山菜は、苦みが多く、冬に溜まった脂肪分や毒素の排出を促します。季節ごとに採れる食材には、それぞれ意味があるからこそ、祖母や母が教えてくれたのだと思います。
心も、先祖や氏神様と途切れてしまっていると思えてなりません。目に見えないものへの畏敬の念も薄れ、先祖からの命のつながりすら意識外です。
氏神様、産土神と先祖とは密接な関りがあります。亡くなってから一周忌、三回忌、七回忌と供養し、五十回忌を迎えた先祖が自分の住む地域の神様になると聞いたことがあります。
ですから、赤ちゃんが誕生し、氏神様や産土神に一番最初の挨拶、お宮参りに行き、健やかに育つよう願うのではないでしょうか。
見えないものに守られている安心感は、やる気、粘り強さ、謙虚さを育んでくれます。
だからこそ、心のありかたを冷静に見ることができ、大切な自己肯定感が育まれていきます。
心に響く「言霊」の力
自己肯定感、自尊心とは、自分を認め、自信を持ち、自分を信頼することが出来ることです。自分に褒めることばをいっぱいかけて、自分を見つめ知ることができるようになると、自分を責めなくもなり、おのずと自分を許すことができるようになります。
すると、本来の意味で自分を慈しみ愛することができ自然と他の人をも慈愛の想いで包み込めるようになります。
人体の司令塔といえる脳は、就寝前の10分間に発したことばを強く記憶し、睡眠中に何度も再生するといわれています。そうすることで潜在意識にも入り、いっぱいの褒めことばが自己肯定感、自尊心を育むそうです。
それだけ褒めることばは、細胞の一つひとつに影響のある「言魂」です。
自分の声やことばは、細胞がいちばん率直に言うことを聞く「自己命令」です。
褒めるとは、弘法大師空海が言われていた「身口意(しんくい)」にもつながります。
「身口意」の三密修行は、身体・言葉・心の修行をすることで人間は生きたまま誰でも仏になることができると言われています。
意識が言葉になり、
言葉が所作になり、
所作が習慣となり、
習慣が性格となり、
運命へとつながります。
「身口意」を心に置くことで心が穏やかになり病を遠ざけ、自分も周りの人も素直に愛することができます。
すなわち、食・自然環境を含め、発することばが小さなことでも大きな生きる力になるということです。
身体が健やかに、心が安らかであることが「健康」と言えます。
魂にとっても一番大切なことに思えてなりません。
そして、一人ひとりが自尊心を持ち、感謝の思いでことばを発し、食べることで身体を作ることが
『病を発症させない』ことにつながると思います。
